2012/04/08

初等・中等教育における学びの評価、教育とは何か

plato, aristoteles, socrates

大学で初年次教育にあたっていると、入学前に身につけてほしいと考える我々の想定の範囲と現実の学生の持っているスキルのギャップに驚くことが多い。大学側の問題と、入学前までの彼ら学生の教育歴の問題に分けて、その問題の分析と対策に進む必要があると思う。


大学
・入り口=入試の問題:入試制度の多様化と入試で測るべき能力の分析不足
・大学での教育内容=学生の質的変化に教育目標、教育内容が十分対応できていない
・出口=卒業までに身につけさせる知識、技能、態度が明確でない
→ポリシーの策定と実質化というキーワードに収束する。
入学以前
・進路指導の問題:偏差値偏重、就職に向けたキャリア観の醸成の不足や不一致
・義務教育までの知識、技能の獲得が十分ではない
・個性に応じた学習支援が十分ではない(発達障害とそのグレーゾーンを含む)

この現状に対して、教員レベルでの教授意識と教授能力の開発によって、その幾ばくかは対応ができると信じている。が、学生は義務教育課程を通過点としているから、大学教員は高等学校教員および小・中学校教員の持っている問題意識を共有し、その教育スキルに授業開発のヒントを見出せるのではないだろうか。

この春を利用して、師を頼って小中学校へのヒアリングへ伺った。
はじめに私が抱いていた課題は次の通り。
・中学校での学力(学習能力、理数系スキル)の担保はできているか
・小学校でのジェネリックスキルの担保はできているか
・発達障害を持つ児童・生徒への早期支援はできているか

未だまとめている途上だが、感触として得たものは
・児童、生徒の人間関係のリンケージは徐々に狭くなっている。他者への興味関心が薄れており自分の世界と父母、祖父母の世界との重なりは小さい。地域社会の教育力は確実に落ちてきている。
・幼保・小、小・中学校の連携は可能だが、高等学校との連携は困難である。その体質の違いが、問題意識の共有を大きく阻んでいる。
といった、家庭や地域に由来する変化の予兆である。後者については高等学校へのヒアリングを続けて現状把握を進めたい。


教育は「哲学」である。
教育とは「人間形成」である。


私自身が救われたのは、教科を教えることだけが教育の本質ではないこと、を教えられたことである。(教科を通して、学生の成長を促す、という意味で。)
学生が悩む様子に無力感を抱き、「教育成果をテストだけで測る」ことの違和感に苛まれる毎日を救ってくれるのは、人間への愛情を持って接する先生方の、姿と言葉であるように思う。

※一部を加筆・修正し、教育誌に発表しました。

1 件のコメント:

kimi さんのコメント...

主体的な学びと成長を促すためには、我々の教育哲学・主体的な教える姿勢が問われています。

アクティブ・ラーニングを支えるアクティブ・ティーチング、アクティブ・エデュケーションとは何かを自分自身と教職員集団と学生・保護者・社会に問い続けなくてはならないでしょう。