I believe in you / ckubber
学生の「主体的・能動的な学び」が、大学改革のバズワードとなっている。
アクティブ・ラーニングとも総称されている。
今度は、小学校時代の恩師を訪ね、初等教育の現場と
生活科・社会科・総合的な学習の時間での実践を追いかけた。
(ただし、具体的な事例は詳細に述べない)
主体的な学びとは
主体的な学びを進めるには、こどもの力を信じること、教員が教科(指導要領)の枠内ではない、本物(学問と文化)を知り伝える、
努力を惜しまないことにあると考える。
教師も、児童・生徒・学生と同じく、学究の徒として学び続ける力を持つこと。
小学校「歴史」と総合的な学習の時間の教育実践では、
実社会に近い課題設定をした重点単元で、調べ学習を行った結果
「生徒が教師を追い抜く」生徒の成長する姿が現れたという。
科学教育の用語での「真正の評価」であり、教師のファシリテーションの成果、
ピア・インストラクションの実例でもある。
これが、10年前に小学校で実現されてきた
主体的に学ぶ教室のイメージだとすれば、
大学教育でのアクティブ・ラーニングのスタートは、あまりに遅い。
魔法の言葉を持つ
私の授業を振り返ってみる。授業冒頭には発問し、一人ひとりに「問い」を投げかける。
言葉にならなければ、彼らの私語を頻繁に拾い上げて、生まれた気づきに
「素晴らしい」
「よく考えているね」
と応答することを繰り返す。
大人数講義でも1対1の関係を成立させる魔法の言葉は、
彼ら学生の学びへの敬意を表明することであり、彼らの善なる意図を肯定することだ、
と信じる。
教授から学修へ、ラーニング・パラダイムの転換期に我々は立っている。
教室の創造、大学の創造
「『学生』の将来なりたい自分」を主語に、これを支援し導き、4年間の一人ひとりのサクセスストーリーをつくる「場」を
活きたシステムとしてつくりたい。つくらねばならない。
そのモデルの基礎と教育哲学を持ち得る1つの方法は、
小中高大の恩師と私のストーリーを言語化し一般化する試みではないかと
考える。
自らが受けてきたスーパービジョンの振り返りに、さらに加わるのは、
私が支援にあたって卒業していった学生一人ひとりのストーリーである。
学生が変われば、自ずと教育の質に向き合うという
自生的な教育力が、すべての大学に備わっていることを心から願う。
関連
1. 青野透、アクティブ・ラーニングのためのアクティブ・ティーチング、金沢大学大学教育開発・支援センター・センターニュース No.438、2013... 加えるならば、能動的な学びのための、アクティブ・エデュケーションが求められると考えます。