2012/10/24

学生に求める能力、教師に求められる能力


Literacy mountain / dougbelshaw


 「機能別分化」とも呼ばれる大学の役割は、
研究か教育か、地域に根差すかグローバルか、
といった観点から いくつかの類型が提案されている。

アメリカのように
コミュニティ・カレッジが門戸を広く学習機会を保障・保証し
自立した成人を世に送り出すような、大学像が求められているのかもしれない。

また、高等学校までの初等中等教育(第一、第二段階の教育)からの接続として
小中高大の連携に真剣に取り組む「覚悟」が、すべての学校種の教師に求められる。

学生に力をつけさせるために必要な教育の在り様について、
私たちは、現場の声を社会に広く訴える必要もあろう。

ティーチング・マシンやCAIの出現の時期に、沼野一男さんという
教育工学者が情報化社会と教師の仕事(1986年、国土社)に 述べている。
(参考:KogoLab 沼野一男『情報化社会と教師の仕事』
26年後の今も、決して色あせてはいない。
・・・子どもたちのために学校や教師は何をしなければならないのか。 この問いは、一人ひとりの教師がその教育観あるいは人間観に基づいて答えるべき問いである。しかし、その答は単なる理想や新年の表明であってはならない。少なくとも子どもたちの学習指導に意欲を持ち、そのための努力を惜しまない多くの教師に、現実に期待できるもので なければならないだろう。
同時期に、学生に求める能力は「読み書き問う力」と定義づけされており
これは、主体的・能動的な学修のための力でもある。

学生のポテンシャルをできうる限りの愛情によって期待し、その学習効果を確認し、
確かな力を持たせて卒業させ、卒後の活躍を支援するために
(偶然ではなく)意図的に、仕掛け・仕組みを配置していきたい。

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