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FD活動には駆動力がない?
大学教授・講師には、教育に必要な免許資格がない。このことは、研究活動に向かわせる動機にしか教員研修のインセンティブが
働かないことを意味している。
佐藤浩章氏(愛媛大学)が継続的に指摘している[1]ことに、
FD活動の実質化と、FD推進の専門職員の育成(Faculty Developer = FDer)がある。
「FD」自体が古い概念[2]となり、
Professional Development(PD)が進んでいる国外では、
米国型(入職前型PD)、欧州型(初期型PD)のように、
大学教授の資格として早期の研修が組まれており、
専門のネットワークと組織が大学間と大学内に設置されている。
米国では、200人に1人の専門職員の配置が望ましいとされている。
では、日本型(生涯継続型PD)の問題点はどこにあるのか。
インセンティブが働かない原因の一つでもあるが、いったん職を得た後では、
いくらDevelopmentの必要性を叫ぼうとも、教員の研修動機は上がらない。
学修(学習)観の転換という論点を超えて
先般の中教審答申の内容が熟議され、教職員・学生・ステークホルダーの間で内容教授から主体的/能動的学修への転換に、総意を得たという前提から始める。
大学では、教育課程=カリキュラムを定めており、
このことは「教員が」一定の内容を「学生へ」伝える義務を負うことを意味している。
カリキュラム編成を主導するのが、自分であれ内外の組織であれ、
伝達すること「のみ」が学習者側の知識獲得へと結実するのだろうか?
知識獲得を超えて、個々の学生の意識と行動の変容へと「確実に」結びつけ、
社会に送り出すことが、大学の責務であるという理念を、我々は持ち実行したいと希望している。
最近では、この責任感を「学士課程教育の質保証」と呼んでいる、
学士力(文科省)・社会人基礎力(経産省)・キーコンピテンシー(OECD)という能力群、
これらは我々が学生に求める最低限度の学位授与の基準である。
大学として、当たり前のことを果たす。
社会資源と時間を投じて、我々が学生と作り上げている学びの時空間の意味とは、何か。
建学の理念と教育目標を、改めて問い直し、教員と学生の相互の行動達成目標として、
誰にでも見える形で書き出し、適切な時点で評価・確認しながら進んでいく歩みを止めてはならない。
学修成果の確認のために必要とするPD活動は、
教員と学生とこれを取り巻く「場」としてのシステムの改革でもある。
これを支援する熱意と能力を持つ教職スタッフを増やし、
賛同者を得ながら組織的改革を推進する現在が、
5年後の大学の有り様を規定することになる。
考えうる方法論、アプローチ
- 建学の理念、設立の理念
- 3つのポリシー(入学生受入・教育課程編成・学位授与)
- カリキュラムマップ(科目間の系統的な連携)
- シラバス(教育目標の設定、授業デザイン、成績評価)
- 相互研修、同僚評価、公開授業
- ティーチング・ポートフォリオ(教員のリフレクション)
- 達成度確認のためのルーブリック
- 教育方法=授業デザインのあり方
- POD(Professional Organizational Development Network in Higher Education)に倣う:主に北米の1600名の会員からなるFDに従事する機関および実務家のための研究会
参考文献・注
- 佐藤浩章, 日本におけるFD論の批判的検討(Critical Review of Discussions on Faculty Development in Japan), 大学教育学会誌, 第34巻(第1号), 80-88 (2012). [link]
- 佐藤(2012)では、日本型FDの拡張として、2大学の事例を上げている。立命館大学「建学の精神と教学理念を踏まえ,学部・研究科・他教学機関が掲げる理念と教育目標を実現するために,カリキュラムや個々の授業についての配置・内容・方法・教材・評価等の適切性に関して,教員が職員と協働し,学生の参画を得て,組織的な研究・研修を推進するとともに,それらの取組の妥当性,有効性について継続的に検証を行い,さらなる改善に活かしていく活動」、愛媛大学「教育・学習効果を最大限に高めることを目指した,授業・教授法の改善(ミクロ・レベル),カリキュラムの改善(ミドル・レベル),組織の整備・改革(マクロ・レベル)への組織的な取組」であり、個々の授業改善だけでない包括的な枠組みを捉え直す試みである。(下線は筆者による)
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